CLOSE to Me

 ――ずっと、この時を待っていた。

 東の地平線から顔を僅かに覗かせた太陽によって、暗闇に包まれた世界に光が差す。東の先では橙色が照らし、そこから白藍色が垣間見えながら、淡色から濃色へと色が移り変わっている。人々が待ち望んでいた朝日をこうして、拝められて、ノクティスは穏やかな笑みを浮かべた。
 まだ十分に日が昇っていない為、ノクティス達がいる辺りは、依然として夜の帳が下りたままだ。しかし、漆黒が天色に塗り替えられるのは時間の問題だろう。見上げれば、雲ひとつない空が広がっている。
 ノクティスとルナフレーナはテネブラエの庭園を訪れていた。ルナフレーナが「折角、テネブラエにいらしたのであれば、庭園を案内します」と、ノクティスを誘ったからだ。
 断る理由が無かった上に、以前、テネブラエを訪れた時は、ニフルハイムによって襲撃されており、とてもじゃないが庭園を見られるような状況ではなかった。ルーナがたくさんの花が出迎えると言っていた花達を、ちゃんと、この目に写したいと思っていたノクティスは二つ返事で、その誘いに乗った。
 ゆっくりとした足取りで、庭園の中の小道を二人並んで歩いていく。時折、風がびゅうと吹く。春先とは言え、まだ冬の匂いがする。風が吹くと、震えはしないが、それでも肌寒く感じる。

「寒くないか?」
「わたしは大丈夫です。ノクティス様は?」
「オレも平気」

 隣にいるルーナが、もし寒いと言うなら、上着をかけようとしたのだが、どうやらその必要はないようだ。ノクティスは上着にかけていた手をそっと下ろした。
 ある程度、開けた場所に辿り着くと、言葉を交わさずとも示し合わせたかのように、ノクティスとルナフレーナの足が止まる。
 眼下に広がる花達を、この目に、しっかりと焼き付ける。朝露に濡れる葉が光を浴びて、きらきら輝いている姿を見て、単純に美しいという感情を覚える。横目で、隣を歩いているルーナを窺えば、ルーナも同じ感情が浮かんだのだろう。湖に漣が広がっていくように、笑顔を浮かべ、風にたゆたっているジールの花を、じっと見つめていた。
 ノクティスはそんなルナフレーナにしばらくの間、視線を奪われていたが、その視線を元に戻し、聞こえるか、聞こえないかの声量でぽつりと呟く。

「綺麗だな」
「ノクティス様に、そう仰って頂けて、花達も喜んでいますよ」
「分かるのか?」

 再度、視線を遣れば、ルーナが笑みを零しながら、頷く。

「ええ。ほら、見てください」

 言われて、再び眼前に広がる花達に目を向ければ、さわさわと風に揺られる花達が視界に映る。確かに、ルーナの言う通り、それらは高ぶる感情のままに舞っている様に窺えた。
 4つも年上であるのにも関わらず、幼齢な女子のように、花の気持ちを純粋に汲み取るルナフレーナに対して、胸の内で、じんわりと慈愛に似たあたたかな感情が広がっていくのをノクティスは感じた。
 一面に広がる小ぶりのジールの花。濃色に見える一方で、淡色にも見えるその花は、自分達を繋ぐかけがえのない花だ。しかし、ルーナの今際を想起させる花でもあるので、郷愁と同時に、哀愁も感じさせる。だから、胸中はとても複雑だ。
 しかし、……嫌いにはなれない。ジールの花を一目写すだけで、瞼の裏側で、この世で最も大切な女性であるルーナの顔が浮かぶからだ。
 それに、今は――裏側だけじゃなくて、直ぐ近くで、その姿を映せる。あれだけ焦がれていた女性が、隣にいる。
 たった、それだけのことで、胸の内が満たされてしまうなんて、他の人が聞いたら、揶揄してくるかもしれない。
 それでも、オレは……どうしようもなく、幸せだと感じる。生前、手の届かなかった人が、こんなにも近くに居て、喜ばない筈がない。

「ジールの花を、初めてお教えした時のことを覚えていますか?」

 耳に、心地の良い音が聞こえて、焦点を隣にいるルーナに合わせる。すると、おずおずと尋ねている姿が視界に映った。その様子に、思わず笑みをこぼした。
 恐らくルーナは、長い年月の中で、ほんの僅かな時間しか過ごしていないテネブラエでの出来事の事なんて、忘れているかもしれないと思ったが故に、自信なさげに尋ねてきたのだろう。

 ――そんなこと、あり得ないのに。

 ノクティスはルナフレーナの懸念を、内心で一蹴する。
 ルナフレーナが思っている以上に、ノクティスにとって、テネブラエで過ごした時間は、かけがえのない、唯一無二な時間だ。心身共に疲弊した時にテネブラエに訪れて、ルーナに出会えて、本当に……救われた。あんなに満たされた時間を過ごせたのは、初めてだった。
 だから、忘れるなんて、万が一でも、あり得ない。
 ルーナが抱えている不安を拭い取ろうとノクティスは笑みを浮かべながら、さも当然だと言わんばかりに言葉を紡いだ。

「もちろん。冠を作った時のことだろ?」
「はい。覚えて、いらしたんですね」

 ノクティスの返答を聞いて、ルナフレーナは胸をなでおろす。だが、ノクティスは補足するように、更に言葉を続ける。

「オレは、ルーナとの思い出は全部、覚えている」
「そう……なんですか?」

 ルナフレーナは信じられないと言わんばかりに目を瞠りながら、その透き通った蒼い瞳にノクティスの姿を映す。

「ああ。テネブラエで過ごしていた時のことも、手帳のやり取りも、全部覚えている」

 脳裏の奥底に沈んでいる記憶は、何一つない。どれもこれも、鮮明に覚えていて、直ぐに記憶の引き出しを開けて、まるで昨日のことのように話せられる。
 真摯な言葉と口調、そして表情から、そこに?偽りがないことが十二分に伝わったのか、ルーナは瞬きを繰り返しながらも、その瞳に水の膜を張りながら、唇を震わせた。

「ノクティス様…………わたしも……わたしも、覚えています。ノクティス様と過ごした時間は、わたしにとっても、とても大切なものなので」

 その言葉を耳にして、ノクティスもまた、目頭に熱を感じた。
 自分達が直ぐ近くで声を聞き合ったのは、触れあったのは、長い時間の中でほんの一瞬だ。しかも、それも幼少の頃だけだ。離れている間は、ずっと手帳のやり取りを行っていたため、精神的な意味で、ルーナを遠く感じたことはないが、物理的な意味では、常に、届かない人だと感じていた。
 十二年の時が経って、漸く、お互いの視界にその姿を映したが、手の届く距離では会っていない。意識のある状態で、触れてもいない。
 だからこそ、一つ、一つの出来事が、かけがえのない大切な思い出だ。何度だって言うが、忘れるなんて……到底、出来る訳がない。

「オレは。ずっと――この時を待っていた」

 視線を移すことなく、ただ前だけを、ジールの花だけを見つめながら、ノクティスは隣にいるルナフレーナの白い手に伸ばす。ルナフレーナの存在を確かめるように、その手に触れて、指を絡め合わせる。離れてから初めて触れるその感触――男の自分とは異なる細くて、あまりの柔らかさ――に、ノクティスの心臓が大きく、脈を打つ。
 込み上げてくる感情のまま、指先に力を入れる。すると、ルーナも自身と同様に、指を絡めてきた。父の胸を彷彿とさせる優しい温度を感じる。指先から、お互いの熱が、まるで水面に落とされた雫のように、ゆっくりとだが、それでも確実に、その温度が伝わっていく。

「オレは……ルーナと、対等になりたかった」
「わたしと、ですか?」

 頭一つ分異なる身長ゆえに、覗き込んでくるルーナ。その瞳は「本当ですか?」と言わんばかりに、またも大きく見開いていた。そんなルナフレーナを見て、そこまで驚く事だろうかとノクティスは告げようとした。しかし、喉元まで込み上げてきた言葉を飲み込む。代わりに、ずっと胸の内で潜ませ続けた想いを、ルーナのその瞳をしっかりと見つめながら、伝える。

「ああ。オレは、ずっと、ルーナの隣に並びたかったんだ」

 ――今の様に。
 正面から向き合うのではなく、見上げるのではなく、隣に立ちたいと、同じ目線に立ちたいと、思っていた。それこそ、幼い頃から、ルーナと出会ってから、思っていた。
 最初は、年の近い異性だから興味が湧いた。イグニスとグラディオ、イリスを除くと、周りに全くと言っていい程、年の近いものはいなかった。王族ゆえに仕方ないと割り切っていても、それでも、普通の子のように友人が欲しいと渇望していた。
 そんな時に、知り合ったルーナ。時には姉のように振舞いながらも、4つも上なのに、変に年上ぶらず、4つ下の自分に対して、対等に接してくれた。その関心が恋心へと昇華していったのは時間の問題だった。父親や仲間とは、異なる感情が――他の異性には生まれないルーナに対してだけ――芽生えていた。だから、そこから当然の帰結として、自分の中で、ある思いが生じた。

「前にも言ったけど、オレにとって、ルーナは死んでも助けたいくらい、大事な人で……ルーナを守れるような人になりたいと……思ってた」

 それは、結局、叶わなかったが。
 生前に果たせなかった後悔と無念が今更湧き上がってきて、眉を顰める。しかし、手の先から温かな温度を感じて、眉間に込められていた力が、静かに霧散していった。隣にいるルーナの潤んだ瞳からは、今にも、雫がこぼれ落ちそうだった。
 溢れだして止まない感情をせき止めようと、自然と繋いでいる力が強くなってしまう。ノクティスはルナフレーナの手を力強く握りながら、そっと瞼を閉じて、自分自身に言い聞かせるように、言葉を続ける。

「そのためにも、オレは、ずっと……ルーナの隣に、いたい、と……」

 ――隣に立って、ルーナを守っていきたい。
 そう思って、やまなかった。縮まらない距離を縮めたくて、たまらなかった。離れている二人の距離を埋めようとして、必死だった。ルーナの近くで、隣に立って、触れて、笑って、そして――守りたいと、思っていた。本当に長い間、その思いが、自分の中で燻り続けていた。
 十数年の間、願っていたことが、今、漸く。叶った。本来ならば、生前に叶えるべきことであり、今になって、叶ったことに対して、自分の不甲斐なさを感じる。
 しかし、それでも……嬉しいと思ってしまう。ルーナの隣に立ち、ルーナの手に触れることが出来たのだから。
 喉元に熱を感じる。自分自身を落ち着かせようと、一度、深呼吸をするも、なかなか心臓がおさまろうとしない。
 感激のあまりか、それとも、これから先、自分が紡ぐ言葉故の緊張もしくは恐怖かは、定かではない。だが、意を決したノクティスは震える唇で、言葉を紡いでいく。祈るように、願うように。

「オレは……この先も、ずっと……ルーナの隣に居続けたいと、思って、るんだが……いいか?」

 死した世界で告げるなんて、今更だとは自分でも思う。そんな中でも、改めて、自分の思いを言葉にするのは、過去の自分と区切りをつける為だ。
 ――今度こそ、ルーナを守れるように。
 そして、ルーナに触れて、同じものを共有して、幸福を享受できるように。
 閉じていた瞼を開けて、ルーナの顔を窺う。
 嗚呼、でも。視界がぼやけてしまって、ルーナの顔が、よく見えない。分かるのは、目の前にルーナが居るということだけだ。
 その瞬間、ぶわりと風が吹き、ジール花が舞い上がる。青い小ぶりの花弁がノクティス達を包み込む。それが、合図だった。

「ノクティス様…………わたしも、ずっと……ノクティス様と同じことを、思っていました」

 ルーナが一歩、足を踏み出して、隣から正面に立つ。そして、空いている白い手が、繋いでいる手の上に重なる。優しい両手に、包み込まれる。

「こんなわたしですが、ノクティス様さえよければ……よろしく、お願いします」

 足元で咲いている淡いジールの花に、ルナフレーナの頬を伝った雫が染みて、濃色に染まる。水の膜が引いたノクティスの瞳にルナフレーナの姿がしっかりと映り、焦点が合う。
 ルーナは震える唇を抑えようと、その唇を噛み締めながら、それでも、目を細めて、こちらを見ていた。片側だけ照らされた日の光によって、ルーナの顔はきらきらと輝いているように見え、思わず内心で――女神のようだ、と呟く。
 ノクティスは感情に背中を押されるまま、ルナフレーナに近づく。そして、二人の身長差を埋めようと、その体を屈ませながら、空いている手を真っ白な陶器を想起させる頬に添える。滑らかで、触り心地の良い頬だ。
 ノクティスが慈しむように、その頬に素手で触れていると、ルナフレーナが重ねていた手を離して、ノクティスの両頬に両手が添えられる。
 徐々に近づいて行く二人の距離。ノクティスが小声で「ルーナ」と名を呼べば、ルナフレーナも「ノクティス様、」と囁く。そして、まるで神父の前で誓うように、二人は唇を重ねた。触れあったのは、たった一瞬だったが、二人の気持ちを確かめ合うには、十分だった。
 屈めていた体を戻すと、ノクティスは照れ臭そうに笑う。しかし、視線はルナフレーナに向かれていた。そんなノクティスにつられてルナフレーナも微笑をこぼす。

「これからも、よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 自然と手がルーナの元へと向かっていた。流れるように、二人の手が繋ぎ合わさる。そこに、躊躇や懸念は微塵も含まれていなかった。
 東の空が、全てを包み込むような淡い空色に染めあがっている。視界いっぱいにその景色を収めながら、二人は、またゆっくりと庭園の中を歩いていく。風に舞われたジールの花びらがそんな二人の後をいつまでも追っていた。


material from 0501 | design from drew | 2016.12.27 minus one