Something four

 ――なにか一つ古いもの。なにか一つ新しいもの。なにか一つ借りたもの。なにか一つ青いもの。そして、靴の中には6ペンス銀貨を。



「ルナフレーナ。これが、頼まれていたものだ」
「お兄様! わざわざ届けてくださってありがとうございます」

 レイヴスの手に収まっていた純白の絹の素材でできたそれは、するりと抜け落ちて行き、ルナフレーナの手に渡る。受け取るなり、ルナフレーナは感嘆の息を漏らす。あまりの手触りの良さに驚いてもいるのだろう。実際、レイヴスも初めて手に触れた時、ルナフレーナと全く同じ反応をしていた。
 ルナフレーナの手にあるもの――それは、今は亡き母であるシルヴァが婚礼の時に身につけていたベールだった。
 帝国によって襲撃された時、焼失してしまっただろうと思いながらも、ルナフレーナに「ノクティス様が一人レスタルムを訪れている今、インソムニアを離れるわけには行かないので、探して来ていただけませんか?」と頼まれたので、不承不承、探してみる。すると、襲撃を逃れた部屋に、それはひっそりと仕舞われていた。まるで、ずっと、この時が来るのを待っていたかのようだった。長い間、外の空気に触れていなかったからか。特有の匂いが少々鼻についたが、それでも幼い頃、一度だけ見た時と変わらない美しさが保たれていた。
 ――ルナフレーナが産まれる前、シルヴァが郷愁に浸りながら見せてくれた純白のベール。合わせて、そのベールを身に纏った母の姿が映し出されている写真も見せてもらったが、その写真を見た時から20数年経った今でも、その姿はしかと脳裏に焼きついている。我が母ながら、洗練された美であふれ出ていたからだ。
 その時、シルヴァは「ルナフレーナが、もし結婚するなら、このベールを身につけて欲しい」とも言っていた。母の願いは――ルナフレーナの宿命からして――叶うことはないだろうと思っていたのだが、奇跡が起き、ここに来て成就することとなった。ルナフレーナが結婚することも、自分自身がそれに参列することも、日を取り戻す前は全く予想できていなかったので、「まさか、こんなことになるとは」というのが正直なところの感想だ。
 ルナフレーナがノクティスに対して、特別な感情を抱いているのは察していた。ノクティスもまた、ルナフレーナを気にかけているのは知っていた。闇が退き、平和となった今。二人が結ばれるのは必然的。当然だろう。
 しかし、二人の式を目前にしながらも兄として、未だ、その事実を腹に落とし込めずにいた。妹に頼まれた手前、ベールは探したが、それを探している最中も良い気分はしなかった。式の当日、教会でルナフレーナの隣を歩いている姿を想像できない上に、想像すると眉間に皺が寄る。要は――認めることができていないのだ。二人の結婚を。
 睨みつけるように、ルナフレーナの手中に収まるベールを見つめていたのだが、ふと視線を上げて、表情へと遣れば、ふわりと、そこに花が咲いた。

「本当にありがとうございます、お兄様。写真で見たことのあったお母様のベールを身につけて、式に出られるなんて……夢みたいです」
「母ので、良かったのか? 確かに、今でも母のベールは綺麗であり、今身につけても違和感を覚えないだろうが、わざわざ、これに拘らなくても、」
「これが、いいんです。ずっと、お母様のベールで式に出たいと思っていたので」

 言葉を遮り、食い気味で言ってくる様子からして、本望である事が窺えた。しかし、依然としてレイヴスの表情は晴れなかった。何故なら。

「――本当に、それだけか?」
「え?」
「小耳に挟んだことがある。結婚前の女性が、周りから何か一つ古いもの、新しいもの、借りたもの、そして青いものを集めれば、幸せに『なれる』というものだが……ルナフレーナ、それをしているんじゃないのか?」

 逸らすことなく、じっとルナフレーナの瞳を見つめる。ターコイズの瞳には、いつにも増して、真剣な表情(真剣を通り越して、怒気が含まれているようにも見える)を浮かべているレイヴスの姿が映し出されていた。レイヴスは一歩、前へと足を踏み出しルナフレーナとの距離を詰める。今にも細い肩を掴むのではないかという勢いのまま詰問する。

「ノクティスが相手だと幸せに『なれない』のではないか――そう思っているから、やっているのか?」

 ノクティスは自分を幸せにしてくれないのではないか。だから、幸せに「なる」ために、少しでも肖ろうと古い歌に倣っているのではないか。ことルナフレーナの事に関すると、猪突猛進になってしまう自覚はあったが、一度、そう思ってしまうと、それしか考えられなくなってしまう。場合によっては、今、渡したベールを取り上げて、ノクティスとの結婚を取りやめる可能性が――と考えたところで、凛とした声が言葉を紡いだ。

「いいえ、そんなこと。微塵も思っていません」

「ならば……何故、」
「――わたしが少しでも、幸せに『慣れる』ように、集めているんです」

 鈴が鳴るような声で、紡いだその言葉を聞いた瞬間。目から鱗が落ちたのか、大きくレイヴスの目が見開いた。自分が全く予想だにしていていなかった答えが返ってきたからだ。

「お兄様が仰った――いわゆる、サムシングフォーは普通の女性は、幸せに『なる』ためにしていると思うんですが……わたしは幸せに『慣れる』ためにしているんです。幸せを享受することに、まだ、慣れていないので、サムシングフォーを集めたら、少しは慣れるんじゃないかと思いまして、」

 だから――願掛け代わりに、お守り代わりしているんです。
 そう言って、微笑うルナフレーナは、いつにも増して。綺麗に、見えた。写真に写る母を彷彿とさせる表情を浮かべており、既に幸福のベールを身に纏っていた。
 てっきり、幸せに『なる』ために行うと思っていたのだが、妹からしてみれば、若干違う意味を持ち合わせていたようだ。確かに、幼い頃からずっと神凪として、王を支えることだけを指標として生きてきて、(兄から見て)険しい道のりを辿ってきたルナフレーナ。もしかしたら、ありふれた幸せを享受することに、ある意味で、抵抗感を覚えてしまっているのかもしれない。
 幸せに慣れるために、とルナフレーナは言う。そこから、レイヴスの中で一つの疑問が導かれた。その疑問を解消するために、浮かんできた疑問をそのまま口にする。

「ルナフレーナ、」
「はい、なんでしょう」
「今……幸せか?」

 その問いの答えは訊かずとも……分かっている。しかし、確認のために問うと、ルナフレーナは、間髪入れずに。

「はい。幸せです」

 と、今はインソムニアにいないノクティスを想いながら、目を細めて答えた。そこに、揺るぎない意思を感じた。
 幸せに慣れるために、という発想は今、自分が幸せを享受していないと思いつかない。だから、ルナフレーナが今、幸せだという事は尋ねずとも、察する事が出来ていた。それでも、本人の口から聞かなければ、確信が得られなかった。
 幸せだと言うルナフレーナ。妹が幸せだと笑顔で言うならば、兄として採る行動は一つだ。いつまでも姑気分でいたら、折角、晴れているルナフレーナの表情に雲がかかってしまう。
 ――そろそろ、認めるべきなのかもしれないな。
 母が身につけていたベールを被る姿を想像しながら一人レイヴスが、ぽつりと呟いたその言葉は、ルナフレーナの耳には届いていなかった。

 兄が不承不承認める――そんなノクティスとルナフレーナの結婚式まで、あと、1週間。


◇◇◇


 雲ひとつない、澄み渡った青空の元。インソムニアの中をレガリアで駆け抜けていく。窓ガラスから見える景色を視界に映せば、街のあちこちで、ルシスの国旗を見かける。ジールの花もあちらこちらに飾られている。行き交う人々も、ちらほらと笑顔がこぼれている。復興の最中でも、この世紀の結婚式を前にして、皆がみな、浮かれているのが手に取るようにわかった。
 窓ガラスを開けて、その様をパシャパシャと音を立てて写真に収める。カメラを持つプロンプトもつられて、笑顔がこぼれた。
 街をくぐり抜け、ようやく王宮の前に着いたレガリア。ブレーキをかけて、エンジンを切った途端、プロンプトは勢いよく降りる。そして、「んー」と言葉にならない言葉を上げながら、大きく伸びをする。いくら王家御用達、最高級ブランドの車とは言え、長時間座っていると、あちこちの筋肉が固まってしまっている。

「やっと、着いたーっ! 長かったー!!」
「予定よりも時間がかかってしまったが、無事に着いて何よりだ」
「グラディオがいけないんだよ〜? 『オルティシエまで来たんだし、ガビアノ闘技場行くか』なんて言うから〜」
「おいおい、オレだけの所為じゃないだろ? プロンプトお前だって、ノリノリだっただろうが」
「あれ、バレてたか」

 レガリアから降りた3人は雑談を交えながら、インソムニア一高い建物――王宮へと向かって行く。プロンプトの手は、いつも持ち歩いているカメラからオルティシエで購入した真新しい真っ白な紙袋へと変わっていた。
 荘厳な雰囲気が漂う王宮の中に入ると、偶然、侍女と共に歩いているルナフレーナの姿がプロンプトの視界に映る。ルナフレーナたちがプロンプトたちの存在に気付いておらず、そのまま通り過ぎようとしたため、プロンプトは慌てて、声をかける。

「ルナフレーナ様!」
「! プロンプトさん! それに、イグニスさん、グラディオさん!」

 手に何かを携えながら、コツコツとヒール音を辺りに響かせて、小走りでこちらに向かってくる。ぱぁっと明るい表情を浮かべるその姿が、いつもの美しさとは違って、可愛らしさにあふれていて、否が応でも心臓がざわついてしまう(ノクトには、絶対内緒だ)。
 イグニスとグラディオラスが深々とお辞儀をしていたのを見て、プロンプトも慌ててお辞儀をする。ルナフレーナは、三人の目の前まで来ると、その足をぴたりと止めた。

「ルナフレーナ様、ただいま戻りました」

 ――口火を切ったのは、イグニスだった。

「私達がいない間に、何かお変わりはありませんでしたか?」
「ええ。イグニスさん達がいない間も、インソムニアは平和でしたよ」
「それは何よりです」
「イグニス……お前、かたっ苦しい挨拶が済んだら本題に行け」
「そうだよ〜せっかく、ここでルナフレーナ様にお会いできたんだし、早くお渡ししようよ」
「お前ら……ルナフレーナ様を前にして、その口調は、」
「ふふ、気になさらないでください。かた苦しいと、わたしまで緊張してしまいます」
「ほら、ルナフレーナ様もそう言っているんだし!」
「……ルナフレーナ様がそう仰るなら仕方ないな」

 イグニスが嘆息を吐くのと同時にプロンプトは内心で「よっしゃ!」とガッツポーズをする。そして、早速、本題へと移る。一歩前へと歩みを進め、ルナフレーナとの距離を詰めるや否や、両手で持っていた紙袋を差し出した。

「ルナフレーナ様。これが、オレたち三人がオルティシエで選んできたものです」
「オルティシエまで行かれたんですね……なんてお礼を言ったら……みなさん、ありがとうございます」

 そう言って、微笑を浮かべながら、ルナフレーナはそっとプロンプトの手から紙袋を受け取る。ルナフレーナの手には、先ほどレイヴスから受けとったベールもあったが、ベールと紙袋、その二つを抱えることで事なきを得た。

「気にいるといいんですが……、」
「みなさんが買ってきてくださったものですから、気に入らないわけがありません」

 眉をハの字にして言えば、ルナフレーナが一刀両断する。間髪入れずに告げたものだから、少しだけ強張っていたプロンプトの表情が思わず和らいだ。

 ――話は数日前に遡る。
 プロンプトはイグニス、グラディオラスと共に王宮内を歩きながら、ノクティスとルナフレーナの結婚式について話を咲かせていた。そこで、二人の側近として、祝いの品を贈ることになり、何を贈ろうかと話していたら、突然、今の今まで話の中心であったルナフレーナが現れた。
 ノクティスを交えて話したことは多々あったが、ノクティス抜きで話すのは初めてだったので、三人に緊張が走る。敬礼をすれば、ルナフレーナは「皆さん、かしこまらないでください」という言葉と共に、「三人で、何を話されていたんですか?」と尋ねられる。
 プロンプトとグラディオラスはサプライズで二人に渡そうと考えていたので、思わず動揺してしまっていたのだが、イグニスは何を思ったのか、狼狽える二人に気づいていないのか、その問いに対して、素直に答えてしまった。……後ろで、折角、秘密にしようとしていたプロンプトとグラディオラスが頭を抱えたのは、言うまでもない。
 ルナフレーナは、イグニスからその話を聞いた途端、「でしたら、わたし、欲しいものがあるので、それをお願いしてもいいですか?」と手を合わせた。何を贈ったら喜ぶのか悩んでいたので、本人からリクエストされてありがたいと言えばありがたかったが、まさかの展開に、目が点になりかけた。それに、要求されたものがものだったので、最初は「オレ達に、それを頼んでいいんですか!?」と驚いたが、対してルナフレーナは「皆さんに、お願いしたいんです」と返してきた。ルナフレーナ様がそう仰るなら、ということで、不承不承、納得した(不承不承だったのは、あまりにも自分たちには身に余るものを要求されたからだ)。
 プロンプトがルナフレーナに渡したもの――それは、真っ白な手袋だった。ルナフレーナはノクティスが心を許している三人に、結婚式に身につける手袋を頼んでいた。
 手袋もベール同様、亡き母のものを譲り受けることを望んでいたが、手袋はフェネスタラ宮殿で見つからなかった。ならば、と。ルナフレーナが新しく揃えようとしていたところに、プロンプト達が通りかかり――。
 大事な任を言い渡された三人はルナフレーナが式の当日に着るウエディングドレスと同じブランドで揃えようと、オルティシエまで赴いていた。ついでに言うと、オルティシエの店では三人もいたのに(のち一人は女慣れしているのにも関わらず)、ルナフレーナに何が似合うか、かれこれ数時間迷っていた。
 迷いに迷って決めた絹の手袋は、白魚のようなルナフレーナの手に負けず劣らず、煌々とした美しい白を基調とし、見る人が一瞬で感嘆の息を漏らしてしまうくらい、美しいものだった。裾には月とジールの花の刺繍が施されており、世界に一つだけのその手袋がルナフレーナに似合わない筈がなかった。
 そして、オルティシエを後にして――今に、至る。プロンプトは苦労して、手に入れた手袋を漸く渡すことができて、ほっと胸を撫で下ろす。

「本当に皆さん、ありがとうございます。これを身につけて、式に出られるかと思うと、今から楽しみで仕方ありません」
「オレ達もルナフレーナ様が、オレ達が選んだ手袋をして結婚式に出られるのかと思うと……見に余る光栄です」

 数日後に催される結婚式を想像すると、自然と口角が上がってしまう。どうしたって、気分が高揚してしまう。
 幼少の頃から、憧憬の念を抱き続けた二人。最早、好きとか、そういった次元にはいない二人。自分にとって、進む道を照らしてくれた二人。手を差し伸ばしてくれた二人。世界のために、一度はその身を犠牲にした二人。その二人が、数日後――結婚する。単に結婚するだけでなく、プロンプトを始めとする三人が選んだ手袋を身につけて、式に臨む。
 この気持ちを、何て呼べばいいのか。何て、形容したらいいのか。最早、歓喜や感動といった感情を通り越している感情に、何て名前を付けたらいいのか。プロンプトには、分からなかった。

「あと……数日ですね」

 イグニスが感慨深そうに言う。

「はい。あと、数日で結婚式ですね」
「ルナフレーナ様には勿体ない野郎かもしれねぇが……オレからすれば、この世で一番頼りになる奴だ。よろしく頼むぜ」
「わたしの方が、ノクティス様に釣り合うのか不安ですが……これからもお三方、よろしくお願いします」
「言われなくともです」

 イグニスとグラディオラス、ルナフレーナが仲睦まじく話している。あふれ出る気品に、思わず手に持つカメラで写真を撮りたくなったが、王都を出る前、ノクティスに「オレがレスタルムに行っている間、ルーナの写真だけは撮るなよ」と口を酸っぱくして言われたので、渋々、それに従う。今にもカメラを取り出して、シャッターを押したい衝動に駆られたが、必死で耐える。
 プロンプトが苦悶の表情を浮かべる中、イグニスが先ほどから気になっていたことをルナフレーナに尋ねた。

「今、持っていらっしゃるベールも、式に見につけるものですか?」
「そうなんです。母が身につけていたものでして……これを着られるのも、とても楽しみなんです」

 幸せそうに微笑うルナフレーナ。ノクティスからの命令さえ無ければ、今直ぐにでも写真を撮るのに――と内心で、小言を零す。仕方ないので、プロンプトは瞼をシャッターに見立てて、ルナフレーナの表情を脳裏に焼き付けるかのように、まばたきを繰り返す。
 なんて、幸福に満ちあふれているのだろう。この表情を数日後だけでなく、ずっと間近で見られるのかと思うと、笑みがこぼれてやまない。あの闇に包まれていた時とは違って、これからの未来が楽しみでしょうがない。

 期待に満ちあふれている――そんなノクティスとルナフレーナの結婚式まで、あと、数日。


◇◇◇


「姫さん! 遠いのに、よく来たね」
「アラネアさんにお会いしたかったので、来ちゃいました」
「護衛も付けずにかい?」
「……こっそり、来たつもりだったのですが、どうやら見つかっていたようです」

 ルナフレーナがちらりと視線を後ろへと遣る。ひょいとルナフレーナの横から顔を出せば、確かに、階段の影に身を潜めている王の剣――確か、ニックスと言ったっけ――が、いた。アラネア達には背を向け、一度たりともこちらを向かない。あれで隠れているつもりなのかと思うと、おかしてくしょうがなかった。
 世界に愛された神凪であり、数日後にはルシスの王妃となるルナフレーナ。そんな彼女が、インソムニアに構えているアラネアの家に一人で訪れようと思っても、それは周りが許さないのだろう。ルナフレーナがこっそり城を抜け出してからの、此処までの道すがら。慌てて、悟られないよう後を追う姿が容易に想像できる。周りがいくら、辞めるよう促しても、このお姫様は自分の意見を曲げない頑固なお方だから、猶更だ。
 息を吐きながら、カラカラとアラネアが笑う。

「相変わらずだね、姫さんは」
「そういうアラネアさんも、お変わりないですね」
「そんな数週間じゃ、変わらないよ。あ、ほら、立ち話もなんだしさ、入って入って」
「はい、失礼します」

 アラネアに促されるまま、ルナフレーナが部屋に入る。ドアを片手で大きく開いている間、漸くこちらを向いた王の剣と目が合う。王の剣は、まさか部屋に入ると思っていなかったのか、動揺からまばたきを繰り返している。アラネアはそんな王の剣に、瞳で「そんな、取って食ったりしないよ」と伝えると、パタンと音を立てて、立て付けの悪いドアを閉めた。


 アラネアが住んでいる家は、どこにでもあるようなやや小さめのマンションの一室。整理整頓されて――と言うよりかは、必要最低限以外のものは置いていない殺風景の部屋。アラネア自身、今だにルシス中で現れるシガイ退治に奔走しているため、滅多に、この部屋に戻ってこない。だからこそ、ソファとベッド、小さな冷蔵庫と簡易的なテーブルだけしかない狭い部屋でも、特に何も不満は感じていなかった。
 適当に、クッションを用意して、ルナフレーナを座らせた後、キッチンの簡易湯沸かし器でお湯を沸かして、インスタントのコーヒーを用意する。普通の人間ならば、元神凪――ゆくゆくはルシス114代の国王妃となる人物に、せまっ苦しい部屋の中、柔らかくないクッションに座らせていることに、罪悪感を覚えるのだろうが、アラネアはさして気にしていなかった。
 ややもすれば、湯沸かし器が「ピーッ」と音を鳴らしたので、持ち手を持ち、とくとくとマグカップにお湯を注ぐ。ぷんとコーヒー特有の匂いが辺りに立ち込めた。用意された二つのマグカップを持ち、ルナフレーナの元へと足を進める。

「姫さん、お待たせ」
「すいません、突然来たのにも関わらず、もてなしていただいて……」
「もてなすって、こんなんインスタントコーヒーだから。気にしないで」

 テーブルを挟んで、座りながらマグカップを渡せば、「ありがとうございます」という言葉と共に、ルナフレーナが両手でそれを受け取った。
 アラネアにとって、この景色――自室にルナフレーナが訪れている――は、もう見慣れたものとなっていた。何がきっかけで話すようになったかは覚えていない。王子、じゃなかった。王を経由して、知り合いになり、話すようになり、そして、気づいたら、「姫さん」「アラネアさん」と呼ぶ仲になっていた。
 最初は――こう言ってしまったらなんだけど――お利口さんのお姫様という印象しかなかった。自己主義からかけ離れ、他人のためだったら自己犠牲も厭わない。自分を第一に考えているアラネア自身とは、かけ離れた存在だと思っていた。
 王の妃とは言え、傭兵の自分と話す機会はないだろう。そう思っていたのだが、ひょんなことから二人きりになる機会があり……黙っているのがもどかしく思えたので、ひとまず探り探りで話してみた。
 話してみて、確かに、ルナフレーナは思っていた人物ではあったが、予想していなかった性分(頑固だったり、お転婆な姿を見せたり、等々だ)も持ち合わせていた。その差が魅力的に感じ、ただのお利口さんじゃないことが窺えた。また、そのギャップがあるからこそ、王が惚れ込むのだろうとも思った。
 この子、面白いじゃない――そう思ったアラネアが、そこからルナフレーナと親しくなるまでに、そう時間はかからなかった。

「さて、と。ゆっくりしたいところだけど、姫さん、あんまり時間ないんでしょ?」
「はい……公務と公務の隙間を見つけて、来たので……」
「だと思った。そうなんじゃないかなって思っていたから……用意、しておいたよ」

 カラーラックの上に置いてあった小さな箱に手を伸ばし、それをそのまま目の前の机上へと置く。ルナフレーナが「開けてもいいですか?」と尋ねてきたので、「かまわないよ」と答える。アラネアの言葉を聞いて、ルナフレーナの表情が一段と明るくなる。それはまるで、蕾から開花した大輪の花のようだった。
 ルナフレーナに渡したもの――それは、アラネア自身が身につけていたパールのピアスだった。そのピアスを目にした瞬間、ルナフレーナは壊れ物を扱うかのように恐る恐る親指と人差し指でつまむ。そして、瞳を煌めかせながら、まばたき一つせず、じっと見つめていた。

「これが、イグニスさんから頂いたものなんですね」
「メガネ君のセンスも、なかなかでしょ」
「はい! 本当に素敵です!」

 様々な角度から見つめていたが、その動きが、はたと止まる。晴れていた表情が一瞬で曇るや否や、アラネアの様子を窺いながら尋ねてきた。

「でも……本当に、いいんですか?」

 ルナフレーナのその問いを聞いて、アラネアは一瞬だけ目を見開いた後、直ぐに、その表情を綻ばせた。そして、ルナフレーナが抱いている懸念や不安を一蹴する。

「いいのいいの。あたしがしたくてやってんだから。それに、メガネ君も喜ぶよ。きっと」
「……アラネアさんが、そうおっしゃるなら、お言葉に甘えさせて頂きますね」
「甘えときな甘えときな。せっかく、花嫁になるんだ。遠慮なんかするんじゃないよ」

 アラネアの問いに、ルナフレーナは「はい」という返事と共に硬くなっていた表情を和らげた。
 シガイ退治の報告がてら王宮に赴き、手にベールと紙袋を持つルナフレーナと出会ったのは、つい先日のことだった。
 訊けば、数日後に控えた結婚式で身に纏う二つだという。ベールは亡き母から譲り受けたもの、紙袋――の中に入っている手袋は、イグニスを始めとする三人がオルティシエで買って来たもの。その話を聞いて、アラネアの脳裏に、昔ビックスとウェッジから聞いた(正確に言うと聞き流していた)言い伝えが思い浮かんだ。「もしかして、姫さん。サムシングフォーをしている?」と訊けば、当の本人が、はにかみながら頷いた。……そのあまりの可愛らしさに、思わず、抱き寄せてしまったのは、ここだけの話だ(王に言ったら、どやされるのが目に見えているからだ)。
 見る限りだと、古いもの、新しいものが揃っている。「借りたものは、目星がついているのかい?」と尋ねれば、表情を険しくさせ、首を左右に振る。自分の性分からして、簡単に、他人に手を差し伸ばさないのだが、ルナフレーナはアラネアにとって、一人の友人だ。友人が困っているならば――「あたしで良ければ、何か貸そうか?」と気づいたら、口が紡いでいた。

「――まさか、アラネアさんからお借りすることになるとは……思ってもみなかったです」
「あら、あたしじゃ不満だって言うのかい?」
「いいえ! そんなこと、微塵も思っていません……!」
「冗談だよ。本当、姫さんはからかいがあるね」

 反応が面白いので、ついからかってしまう。対して、ルナフレーナは「アラネアさんは意地悪ですね」と頬を少し膨らませていた。喜怒哀楽を表情に、そのまま表すルナフレーナを見ながら、アラネアはマグカップを手に持ち、ぐいとコーヒーを飲む。
 世界が闇に包まれていた頃は、こんな未来が待っているとは思ってもみなかった。あの十年の間、多くの人物が光のない、陰鬱とした表情を浮かべていたというのに、今じゃあすっかり、影一つない、明朗の表情をしている。それは、アラネア自身にも当てはまっていた。
 ――それは、誰のおかげなのか。訊かずとも、その答えは分かっていた。

「あ、あの……話が少し変わるんですけれども……一つ、お聞きしたいことがあって、訊いてもいいですか?」
「ん、なんだい」

 マグカップをテーブルへと置けば、真っ直ぐにアラネアを見つめているルナフレーナと目が合った。

「今……アラネアさんは、幸せですか?」

 ルナフレーナが、真摯な瞳を携えて、視線をアラネアの左手の薬指へと向ける。その瞬間、アラネアの心臓が大きく一回、鼓動した。
 藪から棒に。何を突拍子もないことを言っているんだ、このお姫さんは――その言葉たちが喉元までこみ上げてきたが、飛び出す寸前に、唾と共に飲み込んだ。
 世紀の結婚式を目前に控えて、色々と思うことがあるのかもしれない。あれだけ憧憬の念を抱き、幼い頃から慕っていた人物といざ結婚するとなると、緊張や不安があるのかもしれない。
 アラネアはルナフレーナの胸中を想像してみた。しかし、いくら想像したところで、その答えは本人しか知らない。ルナフレーナが何を求めているのかは、現段階では微塵も分からない。だから、思っていることをそのまま言葉に乗せた。

「そうね……あの十年、一緒にいることが多くて、気づいたら、向こうもあたしも同じ気持ちを抱いていたけど……向こうから『王が帰ってくるまで、オレだけ幸せになれない』って言われちゃってね。だから、そこから、ずっと、むこうとあたしとの間に、関係性に名前はなかったし、あたしもあたしで、さして気にしていなかったんだけど……」

 右手を左手の上に重ねた後。一拍置いて、その続きを綴る。

「やっぱり、いざ名前がつくとなると……嬉しかったねぇ」
「それじゃあ、」
「うん。あたしは今、幸せだね」

 照れ臭そうに、アラネアが言う。そこに、偽りは一抹も含まれていなかった。

「最初は慣れなかったけど、でも……それが、日常になっていくっていうんかな。当たり前になっていくっていうんかな。どちらにせよ、当然のように幸せが続くから、メガネ君と一緒になってからが、一番幸せだよ」

 本人にも告げたことのない内心の部分をルナフレーナに吐露してしまったのは、ルナフレーナの持つ穏やかな雰囲気からか。過去を思い返しながら、ぽつりぽつりと呟いていき、気づいたら、今まで思ってはいたけれど言葉にしてこなかったことを言葉にしていた。
 今になって、恥ずかしさがこみ上げてきて、頬に熱を感じる。アラネアは羞恥心から、自分の話からルナフレーナの話にすり替えた。

「まぁ――あれこれ言ったけどさ、姫さんも幸せになりな。世界を救ったあの王様なら、きっと姫さんを幸せにしてくれるよ」
「アラネアさん……」

 緊張で強張っていた表情が、解かれる。「ありがとうございます」とルナフレーナが感謝の言葉を紡ぐのを聞いたアラネアは再び、コーヒーを口へと運ぶ。

「まぁ、あたしが言わなくても、姫さんはもう幸せそうだけどね」
「そう……見えますでしょうか?」
「そうだね。だって、姫さん、帝国に居た頃に比べたら、比じゃないくらい良い表情しているよ」

 自分でも、気づいていなかったのかい?――そう尋ねてみれば、自分でも心当たりがあったのか、「確かに、そうですね」と笑みをこぼした。
 帝国に居た頃、遠目から何度かルナフレーナの姿をこの視界に映したが、どんな時でもその瞳は伏せていて、表情は硬かった。それが、今じゃあ、こんなにも柔らかい表情を浮かべている。世界を救うだけじゃなくて、一人の女の子も救い上げた王様には、いやはや感服する。
 あの王様のことだ。これから先ずっと、姫さんを幸せにするだろうが、もし万が一、姫さんを泣かせるようなことをしたら、その時は、軽く、ドラゴンリープをお見舞いするか。そんなことを考えながら、アラネアは残りのコーヒーを飲み干した。

 多くの人に祝福される――そんなノクティスとルナフレーナの結婚式まで、あと、もう少し。


◇◇◇


 レスタレムでの単独公務を終え、ノクティスがインソムニアに戻ってこられたのは式の前日だった。日が傾き、世界が橙色に染まる頃に見慣れた景色が視界に映った時は、もう、疲労感でいっぱいだった。
 ――早く、ルーナに会いたい。
 王宮に着くなり、ルナフレーナが待つ自室へと戻ろうとしたが、イグニスがそれを許さなかった。戻ってくるなり、「疲れているとは思うが、レスタレムでの報告書が先だ」と言われ、渋々、資料を作成する。疲労に苛まれているため進捗は頗る悪く、公務から解放された時には、既にどっぷりと夜の帳が下りていた。時計の短針は十一を指していた。
 明日の式については、レスタレムに赴く前に、入念に打ち合わせをしておいたから大丈夫だと思うが、まさか……こんな時間になるとは。
 ノクティスは大きく息を吐くや否や、やっとの思いで体を動かし、ルナフレーナが待つ自室へと足を進める。ふらつきながらもなんとか歩き続ける。自室に辿り着いた頃には、ノクティスの身体は鉛のように重く、足は棒のようになっていた。
 ギィと音を立てて扉を開ければ――真っ先に、この世で最も愛しい人物が目に届いた。

「ノクティス様!」
「ルーナ……ただいま」
「はい。おかえりなさいませ」

 その声を聞いた瞬間、背中に重くのしかかっていた疲労が一気に吹き飛ぶ。つい先刻まで、もう一歩も動けないと思っていたのにも関わらず。固くなっていた表情が綻ぶ。
 ノクティスは目を細めながらソファに腰をかけているルナフレーナの元まで行く。それに対して、ルナフレーナは膝の上で広げていた臙脂色の手帳をぱたりと閉じて、机上に置いた。隣に座ろうと腰をかがめながら、ノクティスが尋ねる。

「懐かしいな……ルーナ、それ、読んでいたのか?」
「はい。読みながら、ノクティス様のことをお待ちしていました」

 二人で座るには随分と余裕があるソファであるのにも関わらず、膝同士が触れ合うくらい近くに座る。そして、ルナフレーナが置いたばかりの手帳へと手を伸ばす。覚えのある質感を懐かしみながら、ぱらぱらと捲る。走馬灯のように、あの頃の記憶が蘇る。
 ルーナと初めて会った時のこと、テネブラエで過ごしていた時のこと、離れ離れになってから手帳を通じてやりとりしていた時のこと、結婚が決まって取り戻す旅が始まった時のこと――いつだって、この手帳はルーナと自分との間にあった。

「……ずっと、この手帳でやりとりをしていたんだよな」
「あの時は……まさか、こんな未来が待っているとは思いもしませんでした」
「オレも。でも、夢じゃないよな」
「はい。わたしたちは明日……結婚します」

 ――明日、結婚する。その言葉はノクティスにとっても、ルナフレーナにとっても福音の報せだった。
 二人が再会してから、改めて、ノクティスが結婚の申し出をすれば、ルナフレーナは感極まって涙をこぼしながら、頷いた。そして、結婚式の日取りはいつにするか、どのように行うか等々の話し合い兼打ち合わせが続き、入念な準備を経て、明日という素晴らしき日を迎えようとしている。自らプロポーズしたとは言え――あれから数ヶ月の月日が経っているが――今でも、実感が湧かなかった。これが当たり前の日常に溶け込んで行き、いつかは、慣れる日が来るのだろうか。
 ノクティスは無意識の内に、隣へと手を伸ばし、重ねるようにしてルナフレーナの手を握る。すると、透き通る蒼の双眸がこちらを向く。ぱちぱちとまばたきを繰り返すアーモンド型の瞳に、自分の姿が映し出される。
 隣にルーナがいて、手を繋いで、今、触れ合っている。あの時、当たり前にできなかったことが、いとも簡単にできるようになっている。その事実がノクティスに幸福の雨を降らせる。衝動のままに揺れる瞳を携えて、ノクティスは直ぐそばにあったルナフレーナの額にそっと唇を落とす。
 ――ルーナが愛しくて、愛しくて、たまらなかったからだ。
 一瞬だけ、ルナフレーナの目が見開く。しかし、直ぐにその目を細め、ノクティスの?に片手を添えた。そして、刹那的に触れた二つの唇。柔らかい感触が掠めた。
 突然の行動に、今度はノクティスがまばたきを繰り返す番だった。虚を突かれたため――いつも、する時は、ノクティスからだった――言葉が喉に張り付いて出てこない。ぱくぱくと魚のように口を開閉すれば、ルナフレーナは照れくさそうに、ふふと笑って、こう告げた。

「お返しですよ、ノクティス様」


 明かりを消して、月明かりだけが部屋を灯す中。キングサイズのベッドに二人、向かい合うようにして横になりながら、ルナフレーナはノクティスがインソムニアを離れていた時のことを話した。レイヴスからベールを譲り受けたこと、プロンプトたちから手袋を貰ったこと、アラネアからピアスを借りたこと――。
 帰るまでの間に何が起きていたのかを一通り、聞き終えた後、「どうして、集めていたんだ? ベールはまだしも……手袋とかピアスは買えばいいんじゃねぇのか?」と訊く。すると、ルーナは「……幸せに慣れるために、集めていたんです」という言葉を皮切りにして、花嫁に纏わる言い伝えを教えてくれた。
 古いもの、新しいもの、借りたもの、青いものを集めれば、花嫁は幸せになれるという。本来、幸せになるために、行うものだが、自分は慣れるために集めていたという。サムシングフォーで集めていたことをきっかけにして、色んな人と話せて楽しかったという。
 ……ルーナが今、偽りなく表情に花を咲かせているなら、必要以上に追及する必要はない。ルーナの人生を鑑みると、幸せに慣れていないから、そうしたくなるのも分かる。そう何度も言い聞かせたのだが、胸に何かが引っかかる。碇のように、何かが重く沈んでいく。それが、表情に表れていたのか。

「……どうかしましたか、ノクティス様」

 と不安に揺れるルーナが尋ねてきた。
 心配させまいの一心で「なんでもねぇよ。大丈夫だ」と告げようとしたが、寸前で言葉を紡ぐのを辞める。明日という日を晴れやかな気持ちで迎えるためには、懸念事項は払拭しておいたことに越したことはないだろう。その思いから、ノクティスは勇気を奮って、先とは異なる言葉を紡いだ。

「…………ルーナは、幸せに慣れるために、やってるって言っていたけどさ、」
「はい」
「やっぱり、これからの毎日が不安だから、やっているんじゃねぇのかなって思っちまって」

 ルーナが嘘をついているとは微塵も思わない。本当に幸せに慣れるために、やっていたんだとは思う。だが、9割9分、その思いだったとしても、残りの1分ぐらいは本来の意味の下、行動していたのではないかと思ってしまう。ルーナを疑っている訳ではないが、もし、仮に自分の予想通りだったら……伝えなければいけないことがある。
 ノクティスは一回息を吐き、言葉を続ける。

「でも、もし、少しでもそう思っているなら――改めて、言わせてくれ」

 ノクティスがルナフレーナの頬へと手を伸ばし、撫でるように添える。そして、凛とした声で決意を言葉に表した。

「言い伝えに頼らなくても……オレが絶対、ルーナを幸せにするから」
「……」
「そこだけは、信じてほしい」
「……ノクティス様」

 じっと、ルーナを見つめると、自身の手に馴染みのある体温が重ねられた。

「ありがとうございます。……それと、誤解させてしまったようで申し訳ありません」
「誤解?」
「ええ。ノクティス様がわたしのことを幸せにしてくれるのかという点に関しては、わたしは不安を微塵も抱いておりません」
「……本当か?」

 訊けば、こくりと頷かれる。

「サムシングフォーは、幸せに慣れるためのお守り代わりとして、やっていたんです。だって、ノクティス様が毎日のように幸せにしてくれているというのに、わたしは、その、幸せに慣れなくて、いつも、いっぱいいっぱいで……ノクティス様にご迷惑をおかけしているんじゃないかって思って……」

 だから、少しでも、その幸せに慣れるように――そう言いながら、ルナフレーナは目尻を赤く染めた。
 ルーナはオレだと幸せになれないんじゃないかと思って、先のような行動をしたのではないかと不安を覚えていたが、どうやら杞憂に済んだようだ。ノクティスはルナフレーナの言葉を聞いて、ほっと、胸を撫でおろすのと同時に、思いがけない告白を耳にして、頬に熱を感じた。

「悪い、ルーナ。疑ったりして」
「いいえ。わたしも言葉足らずでしたので……おあいこです」
「それ、と。迷惑だと思ったことは一度も思ったことはないから、安心してくれ」
「ノクティス様……ありがとうございます」

 お互いに謝って、くすくすと笑いあう。これで、心置きなく、瞼を閉じることができる。明日という日を、人生において最良の日とすることができる。満足気な表情を浮かべながら、「じゃあ、そろそろ寝るか」と言おうとしたのだが、一つ疑問が生じる。ノクティスは気づいたら、その疑問をそのまま口にしていた。

「そう――いえば、さ。ルーナ、古いもの、新しいもの、借りたものは集まったって言っていたけど……青いものは、どうしたんだ?」

 明かりを消す前、ベール、手袋、ピアスはベッド横のサイドテーブルに置いてあったのを見かけた。あともう一つ、青いものは何処にあるのだろうと思い、尋ねれば、ルナフレーナは微笑を浮かべたまま手をこまねいた。ノクティスは誘われるまま、ルナフレーナに顔を近づけさせる。すると、こっそりと蚊の鳴くような声で囁いた。

「青いものは――――」

 その言葉を聞いた瞬間、ノクティスの目が大きく見開いた。思わず、「えっ?」と大声を上げながら体を起こしたが、ルナフレーナは「おやすみなさい、ノクティス様」と言って、ノクティスが居る方とは別の方向に体を向けて、その瞼を閉じた。
 そんなルナフレーナとは対照的に、ノクティスは心臓が大きく波を打つ。先ほどまであった眠気なんて、一瞬で吹っ飛んでしまった。それ程までに、ルナフレーナの発言にノクティスは動揺した。否、動揺なんていう水準じゃない。心臓が口から飛び出てしまうのではないかというくらい暴れていて、目眩までしてきた。顔だけでなく体まで熱くなってきた。
 青いもの――ノクティスはジールの花を用意しているだろうと考えていた。ノクティスの予想通り、ルナフレーナは青いものとして、ジールの花を準備していた。しかし、問題はそこからだった。
 式の当日、ルナフレーナは頭にはベール、耳にはピアス、手には手袋を身に着ける。青いものはてっきり髪飾りとして身に着けると思っていたのだが――その点に関して、大きく予想を外した。
 ジールの花を身に着ける場所。それは、清純と誠実な愛を示すために、生涯を共にする人物しか見られないに付けるという――言い伝えによれば、多くの花嫁がウェディングドレスの下に着けるガーターベルトに青いリボンを巻くそうだ。
 そこまで言うと、ルナフレーナは一拍置いて、頬を赤らめながら、そっと囁いた。

『だから、ノクティス様。青いものは……明日までのお預けです』

 ――愛しい人物から、そう言われて、誰が、冷静にいられようか!
 直接、そこにあると言われた訳ではないが、ルーナの言葉から考えるに、明日、ルーナはあの真っ白なドレスの下に――。自然と上がってしまう口角と、いつまでも騒ぎ立てる心臓。明日は、待ちに待った結婚式だというのに、これでは眠れそうにない。
 さっきといい、今といい。本当……ルーナには、敵わねぇな。
 そんなことを考えながら、ノクティスは手で口を覆い、ルナフレーナの背中をいつまでも見つめていた。

 ずっと待ち望んでいた――そんなノクティスとルナフレーナの結婚式まで、あと、一日。


◇◇◇


 光を感じて、目を覚ませば、昨日。寝る前は、確かに別の方向を向いた記憶があるのに、視界いっぱいに愛しい人物が映し出される。目が覚めて、一番に会える人が、一番大好きな人だから、無意識の内に笑みが浮かんでしまう。
 ノクティスを起こさないよう、そっとベッドから降りて、窓際に赴いてカーテンを開ければ、目が眩んでしまう程の光が燦々と降り注ぐ。真っ白なネグリジェに包まれたルナフレーナの体は陽の光を受けて、煌めいている。
 視界いっぱいに広がる青空。雲ひとつ、見当たらない。天気は良好。重ねて言うと体調も良好。今日は、絶好の結婚式日和。「んー」と言いながら、体を気持ちよく伸ばす。視線を下へと向ければ、窓の向こう側には、今日も今日とて綺麗な街並みが広がっていて、一面、青い花で包まれている。あと数時間後には、あの中を祝福されながら、ノクティス様と二人で歩く。想像するだけで……逸る気持ちが抑えられなくなってしまう。
 手に、ベール、手袋、ピアスを持ち、そして、結婚式の時に履く真っ白なヒールに6ペンス銀貨、はなかったから、神凪就任記念硬貨を6枚忍ばせていると、もぞもぞとシーツが動く。目線を向ければ、まだ半分夢の世界にいるのか、瞼を若干閉じながら体を起こしたノクティスがルナフレーナの視界に映る。そんなノクティスを見て、目を細めながら挨拶する。

「おはようございます、ノクティス様」
「ん……はよ、ルーナ」

 当たり前のように、朝の挨拶を交わす。当然のように、愛しい人物と話すことできて、思わず表情を綻ばせる。
 ――なんて……幸せ、なのだろう。
 この日々がずっと、ずっと、続くことを祈りながら、ルナフレーナは、たくさんの幸せに包まれて、今日、ずっと想い続けたノクティスと結婚する。きっと、長くて、あっという間の一日になるだろう。だからこそ、一瞬一瞬を大事にしながら、記憶に焼き付けるかのように、過ごそう。そんな決意を表すかのように、手に持っていたものをぎゅっと抱きしめる。すると、ふわりと幸せな匂いがルナフレーナの鼻を掠めた。

 お互いの幸せを誓い合う――そんな二人の結婚式まで、あと、数時間。



material from 0703 | design from drew | 2017.07.17 minus one