白魚に赤い華

「日がのびてきましたね」
「そうだな」

 今日の公務が終わり、二人で城内にある自室へと戻ると、部屋全体が鮮やかな橙色に覆われていた。窓へと視線を移せば、燃えるような赤に包まれている太陽が映し出された。
 ――確かに、一月前に比べたら、夜は短くなり、気温もぐんと上がってきている。街を訪れても、もの寂しい景色から新緑に溢れる景色へと次第に移りつつある。冬の頃と比べたら気持ちの良い風が吹くようになる。
 しかし、その反面、日が遅くまで出ていることもあって、春先から夏にかけては、今日のように外で催される公務がどうしても長引いてしまう。今日は復興した街の視察であったため、長時間、外に赴き移動し続けていた。自分は男ゆえに体力があるから、長時間、外出していたところで、何も問題はないが――。

「ノクティス様、お疲れですよね? 肩でもお揉みしましょうか?」
「いや、オレよりも、ルーナ……ちょっと、そこに座ってくれねぇか」
「わたしが、ですか?」

 首をわずかに傾げながら、指で自分自身をさす。「ああ、そうだ」と言う代わりに頷けば、頭に疑問符を浮かべながら、促されるまま、ちょこんとソファに腰掛けた。
 ノクティスはルナフレーナが座ったのを確認すると、無言でソファへと赴く。そして、ルナフレーナの目の前に辿り着くと、隣に座ることなく、音も立てず腰を下ろして、いきなり跪いた。

「ノ、ノクティス様……!?」

 ルーナが動揺の声をあげるも、気にもとめず。そのまま、まるで白魚のようなみずみずしい足に手を伸ばす。それと同時に、パチンと靴の留め具を外して、そっと片方の靴を脱がせば――案の定、表皮が捲れ、赤くなり、見るからに痛々しい傷が現れた。真っ白な足に、その傷は嫌という程……目立っていた。

「やっぱり、靴擦れしていたんだな」
「……気づいて、おられましたか」
「当然。ルーナのことは、見ていれば分かるからな」

 今日の公務が終わりに差し迫る頃。民衆の前では笑顔を絶やさずにいても、ふとした時――民衆の視界に姿が映し出されなくなったほんの一瞬――ルーナの表情が歪んでいることに気づいた。体調が悪いのかと思ったのだが、王宮に帰るまでの車中で、手が足の甲に触れていたので、体調が悪い訳ではなく、足に怪我を負ったことを察した。よくよく見れば、今日ルーナが履いていたは、ヒールのある真新しい靴だ。履き慣れない靴で、足元の怪我。この二つから導き出される答えは、一つしかない。
 一体、いつから――と訊こうしたのだが、尋ねても、答えてくれないだろう。普段は慈愛と穏和に満ちあふれているルーナだが、強情な所は強情だ。自身に心配かけまいという一心で、ずっと、それこそ今の今まで黙っていたに違いない。声をかけなかったら、恐らく、最後までこの件については、黙っていただろう。ルナフレーナのその気持ちは一見するとありがたいように見えるが、しかし、ノクティスにとっては心臓を抉る剣となった。

「ノクティス様に心配をかけたくなかったので、黙っていたのですが……やはり、お伝えするべき、でしたでしょうか……?」

 ノクティスの細い髪の毛から眉間に深い皺を寄っていることに気付いたルナフレーナが、おずおずと尋ねる。そこで、初めて、ノクティスは俯かせていた顔を上げた。逆光でよく見えないが、ルナフレーナの表情に陰が浮かび上がっていることだけは窺えた。
 そして、二人の間の空気が張り詰めていた事に気付く。ノクティスは自分自身の不甲斐なさに腹を立てていたのだが、ルナフレーナのこの表情だけは視界に写したくなかった。だからこそ、気持ちを切り替えようと呼気の残滓を吐き出すように大きく息を吐いた。

「そうだな……ルーナは公務を大事にしているから言わなかったんだろうけど、オレにとっちゃあ、公務と同じくらいルーナのことも大事なんだ。何かあったら、遠慮しないで言って欲しい」
「は、はい……分かりました」

 目の前で大人しく頷くルーナを、じっと訝しむように見上げる。

「…………ルーナ。それ、本当に言ってる?」
「も、もちろん……そうです、けど、」
「ルーナは強情だからな。こう言っても、次にまた我慢するのは目に見えてるんだけど」
「そ、そんなことは、」
「無いとは、言い切れないだろ?」
「うう……」

 内心で息を吐く。
 もしかしたら、ルーナには、オレは頼りない人物として映っているのかもしれない。いつまでも、自分が守らないといけない幼い男の子として映っているのかもしれない。だが、自身はもう、男の子と言えるような年齢ではない。曲がりなりにも、一人の好いた女性を娶るくらいには成長した一人の男だ。
 どうしたら、ルーナが言ってくれるようになるのか。どうすれば、ルーナは頼ってくれるようになるのか。
 再び、内心で息を吐きながら、ふと視線を下ろせば、痛々しい患部が視界に映し出された。円状のそれは小さいながらも、真っ白な肌の中、赤みを帯びていて、見ているだけで、じんじんと鈍い痛みが襲ってきそうだ。
 一先ず、ルーナの手当が先か。そう思った所で、脳裏にある考えが浮かび上がる。
 ルーナが、いつまでもオレに心配かけまいと頼らないつもりならば――先程の言葉に念を押す為とほんの少しの意趣返しのつもりで、ノクティスは強行手段に出た。

「ルーナが、そのつもりなら――」

 ルナフレーナの陶器のような白くて華奢な足に改めて両手を添えるや否や、そっと、その傷口に唇を重ねた。

「ノ、ノクティス様……!?」

 ノクティスの突然の行動に驚きの声を上げ、思わずルナフレーナは足を引っ込めようとするも、先程までの手つきはどこに行ったのか。逃さないと言わんばかりに、ルナフレーナの足に添えている手に力を込めた。
 痛くならない程度の強い力で足を固定すると、何度も何度も、その傷と唇を触れ合わせる。敢えてリップ音を立てながら、ルーナの方を一瞥することなく、離しては重ね、離しては重ねを繰り返す。その度にルーナの身体がビクビクと震えた。
 擽ったいのか、それとも、感じているのか。判断は付かなかったが、どちらでもいい。そう結論付けて、そのまま吸い付いた。

「や、やめて、くださ……ひゃっ」

 万が一の際には、唾液が患部に効く。いつか見た文献の知識が、まさか、ここで役立つとは。そんな事を考えながら、つうと舌を這わせば、口に鉄の味が広がった。唇と舌が同時に、時には交互に、患部を包み込む。まるで生き物なような啄むキスに、とうとうルーナは瞼をぎゅっと瞑った。そこで漸く舌を口腔に仕舞って、ノクティスはゆっくりと顔を上げた。

「次も我慢するようなら、こうするけど――それでも、ルーナは言わないつもりか?」

 ぷるぷるとまるで子犬のように首を横に振る。その様子があまりにも可愛らしくて、あまりにも愛おしくて、ふ、と表情を和らげる。
 少々強引な方法を取ってしまったが、これで次から、ルーナはちゃんと言ってくれるだろう。言わなかったら、その時はその時だ。先程、ルーナに告げた通り、傷がどこにあろうとも、上書きするように唇を重ねるだけだ。
 ノクティスが満足気に微笑を浮かべながら、添えていた手を離す。ルナフレーナの白い足には、いつまでも赤い華が咲き続けていた。



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