白旗を振る
9月4日――この日はノクティスにとって、一年の内で一番と言っても過言ではないほど、大事な日だ。何故なら、ノクティスの想い人であり、恋人であり、最愛の妻でもあるルナフレーナの誕生日だからだ。当日はインソムニアを上げて、盛大に誕生祭が開催される。既に街中でルシスの国旗が掲げられ、街の至る所で、ルナフレーナの愛したジールの花が飾られている。自室の窓からは、瑞々しい青が一面に広がっている。この景色を見るだけで、ルナフレーナが国民から、どれだけ愛されているのかが窺えた。
ルシスのみならず、世界中から愛されているルナフレーナ。そんな彼女が生まれた日を世間が見逃すはずがなく、当日は分刻みのスケジュールが組まれている。ルナフレーナが公務を終えるのは、誕生日が終わる1時間前。基本的にルシス国王であるノクティスもルナフレーナの公務に同行するが、常に傍らには側近やら国民やら、誰かがいる状況が強いられている。本当の意味で二人きりになれるのは、たった1時間だけだ。
その1時間で、ルシス国王としてではなく、ノクティス・ルシス・チュラムとしてルナフレーナ・ルシス・チュラムを祝おうと試みているのだが――さて、どうするか。ここ最近のノクティスは、ルナフレーナの誕生日をどのように過ごすかについて、目下、熟考していた。
結婚してから、初めて過ごす誕生日。お互いがお互いの傍に居られるようになってから、初めて迎える誕生日。ルナフレーナが涙を流す……までとは言わないが、折角なら、喜ぶプレゼントを渡したい。
何を渡したら、ルーナは喜んでくれるのか。ルーナと知り合ってからは長い月日が流れているが、その大半を離れて過ごしていたため、ルーナの嗜好が分からない。その事実にもどかしさを覚えるが、これから先、その隙間を埋めていけばいい。そう思い込むことで、自分自身を鼓舞する。しかし、鼓舞したところで、今、自分が抱えている問題の解決には至っていない。
「どうすっかなー……」
腕を組んで、頭を抱えること数日――気づいたら、ルナフレーナの誕生日が訪れていて、気づいたら、二人して自室へと戻っていた。窓の向こうには暗闇を照らす月が煌々とインソムニアを照らしていた。
結局、ノクティスは気の利いたプレゼントを用意できずにいた。どうすべきか。何を渡すべきか。渡すべきかと考えたところで、もう、ルナフレーナの誕生日を迎えてしまっているので、今から用意することができないのだが。
眉間に皺を寄せて、険しい表情を浮かべていると、ノクティスの前に立っていたルナフレーナがゆっくりと振り返る。
「ノクティス様? どうか、されましたか?」
「どうかって……どうもしてねぇけど?」
「そう、ですか? さっきから、ずっと口を噤んでいらしたので、何かあったのかと思ったのですが……」
心配そうに、ルナフレーナが見上げてくる。その蒼い瞳には、情けない狼狽の表情を浮かべているノクティスの姿が映し出されていた。
どうやら自分が想像していた以上に、考え込んでいたようだ。焦燥感が先行してしまって、目の前にいるルナフレーナが二の次になってしまっていた。折角、ルナフレーナの誕生日だというのに。漸く、二人きりの時間が訪れたというのに。
――今、考えるべきなのはプレゼントではなく、目の前でオレのことを一心に見つめているルーナのことだろう。
脳裏に蔓延る考えを振り払うように、ノクティスは頭を振る。まるで、その細い両肩を瞳で掴むかのように、改めてルナフレーナの瞳を見つめる。そして、凛とした声で、名を呼ぶ。
「ルーナ」
「はい、なんでしょう」
「改めて、だけど……誕生日、おめでとう。ルーナが生まれてきてくれて…………本当に良かった」
「ノクティス様……ありがとうございます」
ノクティスの言葉を聞いて、花のように微笑むルナフレーナを見て、ノクティスの心臓が大きく跳ねる。しかし、ノクティスは五月蠅い心臓に構うことなく、言葉を紡ぐ。
「それで、プレゼントなんだけど……ルーナが喜ぶものが分からなくて……用意できてねぇんだ」
「えっ……!? プレゼントなんて、そんな……構いません。ノクティス様からお祝いのお言葉を聞けただけで、わたしは嬉しいですから」
「でも、折角の誕生日だろ? 何かしてやれたらいいと思ったんだけど、ルーナが何をあげたら喜ぶのか、全然思いつかなくて…………なぁ、ルーナ。何か、俺にして欲しいこととかないか?」
恰好がつかないが、内心を赤裸々に告げる。何を渡したらいいのか思いつかなかった以上、プライドを捨てて、本人に訊いてしまうのが最もだろう。そう考えたノクティスはルナフレーナに尋ねた。視線を彷徨わせることなく、じっとルナフレーナを見つめる。その間、ルナフレーナは「大丈夫ですよ。本当にお気持ちだけで嬉しいので」と答えたのだが、何かをあげたいと考えているノクティスがそれに反応を示すことはなかった。ただただ、ルナフレーナの瞳を一心に見つめていた。
ノクティスが折れるのが先か。ルナフレーナが折れるのが先か。お互いに見つめあうこと、数分。先に言葉を発したのは――ルナフレーナだった。
「分かりました、ノクティス様。ひとつだけ、お願いがあるのですが……いいですか?」
「ああ。俺に叶えられることだったら、なんでも言ってくれ」
「……ノクティス様しか、叶えられないことです」
そう言って、ルナフレーナが背伸びをしてノクティスの耳元へ口を近づける。それに合わせて、ノクティスが少しだけ腰を屈める。二人しかいないというのに小声で伝えるのは、気恥ずかしさがあるからか。ルナフレーナの表情をちらりと窺えば、頬に紅が差しているのが視界に映った。
そして。蚊の鳴くような声で紡がれた言葉を聞いた瞬間、ノクティスがぱちぱちとまばたきを繰り返す。思わず、ばっとルナフレーナから体を離し、狼狽した表情を浮かべながら、再び視線を瞳へと送る。対照的にルナフレーナは変わらず、笑みを浮かべていた。
「そ、そんなんでいいのか?」
「ええ。ぜひ、お願いします」
「誕生日なんだし、なんか、もっと……強請ってもいいんだぞ?」
「そう、ですか?」
ルナフレーナの首がこてんと傾く。まるで幼子のように、純粋な瞳がそこに孕まれていた。
「あ、ああ。こう言っちゃあ、なんだが……いつも、していることだし、こう……誕生日感がねぇって言うか……」
――ノクティス様から抱きしめて、くれませんか?
それが、耳元で囁かれた言葉だった。特別な願い事を言われるのだろうと予想していたからこそ、ノクティスは冷静を欠き、動揺する。自身に遠慮しているのではないかと勘ぐってさえしてしまう。この世で最も大切なルナフレーナの誕生日だからこそ、もっと記念に残るようなことをしてあげたかったのだが、単に、抱きしめるだといつもと変わらないものになってしまう。
本心を告げるよう促したのが、対してルーナはノクティスの言葉を聞いて、手で口を僅かに覆うと、鈴が鳴るような笑みをこぼした。
「……ふふ」
「どうかしたのか?」
今度はノクティスが首を傾げる番だった。何か、可笑しい箇所でもあったのだろうか。無意識に表情を強張らせると、ルナフレーナは柔らかい笑みを浮かべた。
「いえ、そう考えると――わたし、いつも、ノクティス様からプレゼントを頂いているんだなと思いまして。いつも、ありがとうございます、ノクティス様」
刹那、ノクティスの目が大きく見開いた。そして、次の瞬間には緩む口元と熱が集まる頬を片手で隠すように覆った。
嗚呼、本当に、全く……ルーナには、敵わない。
いつだって、ルーナは俺の一歩、二歩、先を進んでいて、俺を掴んで離さない。今日だって、本来ならば、ルーナの誕生日だから、ルーナに幸せな思いを抱いて欲しい、ルーナに幸せを与えたい一心だったのに、俺が幸せを感じてしまっている。
情けない。頼りない。そう思いつつも、ノクティスは少しでも、ルナフレーナが幸せになれるよう――否、ルナフレーナを幸せにする為に。手を伸ばし、力強く抱きしめた。
「……これで、いいか?」
「はい、ありがとうございます。ノクティス様」
胸の中で、満足そうに言葉を紡ぐルナフレーナの声が聞こえる。その声を聞いて、ノクティスは何とも言えない表情を浮かべた。
来年こそは、ルーナに頼ることなく、ルーナが喜ぶようなプレゼントを事前に用意しよう。そんなことを頭の片隅で考えながら、ノクティスはルナフレーナを抱きしめ続けた。